名古屋地方裁判所 昭和40年(ワ)1644号 判決 1976年3月31日
原告 遠藤雄久
被告 名古屋放送株式会社
主文
一、原告の本訴第一次的請求及び第二次的請求をいずれも棄却する。
二、訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告
(第一次的請求)
(一) 原告が被告の業務局編成部副部長の地位にあることを確認する。
(二) 被告は、原告を右同部副部長として取扱い、原告に対し、金一〇、〇八〇円及び毎月二五日限り昭和三九年七月一日以降昭和四〇年三月三一日まで一ケ月 金一七、〇〇〇円、同年四月一日以降昭和四一年一〇月一九日まで一ケ月 金一九、〇〇〇円、同年一〇月二〇日以降昭和四二年三月三一日まで一ケ月 金二二、〇〇〇円、同年四月一日以降昭和四三年三月三一日まで一ケ月 金二五、五〇〇円、同年四月一日以降昭和四六年三月三一日まで一ケ月 金三〇、〇〇〇円、同年四月一日以降昭和四七年三月三一日まで一ケ月 金三四、〇〇〇円、同年四月一日以降昭和四八年三月三一日まで一ケ月 金三七、〇〇〇円、同年四月一日以降一ケ月 金四五、〇〇〇円の割合による金員を支払え。
(三) 訴訟費用は被告の負担とする。
(四) 仮執行の宣言。
(第二次的請求)
被告は原告に対し金三、六〇〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和三九年六月六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二、被告
主文と同旨
第二、当事者の主張
(請求の原因)
一、被告は、放送法にもとづく一般放送事業を営むこと等を目的として昭和三六年八月設立され、昭和三七年四月放送を開始した従業員約二六〇名を擁する株式会社であつて、受知県・岐阜県・三重県をサービス・エリヤとしてテレビ放送等を行なつている。
二、原告は、昭和三三年東北大学文学部を卒業し、訴外東北放送株式会社に入社したが、昭和三七年一月八日被告会社に入社して編成局編成部編成課に勤務し、同年九月一日被告から同課長代理に任命され、昭和三八年七月一日被告会社の職制変更に伴ない業務局編成部編成課長代理となつたところ、被告は昭和三九年六月五日原告に対し「就業規則一九条に拠り編成課長代理を免ずる、業務局勤務を命じ主任に任ずる」旨の降職処分(以下「本件処分」という。)をなした。
三、本件処分に至る経緯
(一) 原告が被告会社に入社した当時、被告会社における労働条件は、差別による労働者支配を基本とした労務政策及び利潤第一の「合理化」を追求する経営方針の結果、極めて劣悪なものであつた。特に、男女差別や雇傭形態による差別、職能給を基本とした賃金体系がとられ査定基準すら示されることなく一方的かつ恣意的な能力査定が行なわれていたことなどのため、従業員間に競争心があおられ、労働強化と低賃金をきたしていた。また、時間外手当は一カ月 五〇時間の頭打ちとされ、これを超える時間外労働に対する割増賃金は支払われず、更に、人事協定もないことから従業員は常に不安定な状態におかれていた。
(二) 右のような状況を背景に被告会社従業員の間に労働組合結成の機運がたかまつてきたが、原告も入社以来積極的に組合結成の必要を説き続け、昭和三七年六月、原告を中心として組合結成準備の会合がもたれるに至つた。
被告は、右組合結成の動きを察知するや、原告と他の従業員の離間を策し原告を懐柔してその動きを封ずべく、昭和三七年九月原告を編成課長代理に抜てきして組合結成の機運を挫折させようとした。このため組合結成活動は一時的中断を余儀なくされたが、原告らの努力によつてこの困難を乗り越え、昭和三八年六月六日、従業員二〇〇名以上をもつて名古屋放送労働組合(以下「組合」という。)が結成されるに至り、組合は民間放送労働組合連合会(以下「民放労連」という。)に加盟した。
原告は、組合が結成大会において組合員の範囲を「課長以上の職にある者を除く従業員その他組合で認めた者」と定めたので、結成の翌日である昭和三八年六月七日組合に加入した。
(三) 被告は、人事課長上井浩が組合結成当日同課員二名に対し「組合に加入するな」と発言し、更に、課長代理たる原告らが組合に加入しまた組合未加入の課長代理らに加入説得している事実を知るや、昭和三八年六月八日「課長代理は組合に加入しないことを望む」と発言し、東京支社においても、総務課長青木敬が組合結成当日「本社の指示があるまで総務課員と課長代理は集会への出席を見あわせよ」と発言し、組合結成大会に出席した総務課員二名に対し大会の模様の報告を求めるなど、組合に対する支配介入を行なつた。
被告は、更に、昭和三八年六月一〇日組合に対し文書をもつて「(1)課長代理以上の役職にある者、(2)人事主務者三名・庶務主務者二名・経理主務者三名・企画主務者二名・東京支社総務主務者二名・(3)タイピスト・電話交換手・専務秘書・支社長秘書、(4)乗用車運転手、(5)嘱託雇員・臨時雇・試用期間中の者」の非組合員化を要求し、これに伴ない、右該当者らに対する組合脱退の圧力を加えるに至つた。その結果、原告及び池田八朗を含め課長代理一二名中六名が組合に加入していたものが組合加入後半月も経たないうちに原告及び池田を除きすべて被告会社の圧力に屈して組合脱退を余儀なくされ、右池田八朗も昭和三九年三月ついに組合を脱退するに至つた。また、電話交換手、運転手等もすべて組合を脱退していつた。
(四) 組合は、被告会社による右のような組合結成当初からの組織攻撃に反撃するとともに、組合事務所・組合掲示板の設置・組合費のチエツクオフ その他組合活動条項の要求及び賃金台帳の公開・労働時間の短縮を骨子とする勤務協定の締結要求等をかかげて闘い、更に、被告が昭和三八年七月一日をもつて機構改革・人事異動をなそうとしたことを労働条件の変更にかかわるものとしてとらえ、同年七月、機構改革事前協議・人事同意約款を要求して闘つた。
昭和三八年年末闘争及び昭和三九年春闘において、組合は同業他社と比較して異常に低い賃金格差の是正を要求して闘い、特に右春闘では、被告会社における低賃金を根幹から打破すべく差別賃金体系の排除・職能給の撤廃に全力をあげて最低賃金保障の要求を掲げ、更に、昭和三九年三月末日をもつて従前の三六協定が失効したことに伴ない勤務協定締結要求が加わり、闘争態勢が昂揚した。
(五) かかる組合の諸要求に対し、被告は、二四時間前スト通告の要求、組合の無通告ストに対する非難、組合のビラ貼り活動の規制、組合活動に対する処分留保の脅迫等によつてこれを抑えこもうとする一方、春闘最中の昭和三九年三月二六日突如主任制度の新設を発表して主任手当という新たな差別賃金体系を導入し、組合員の分断をはかるとともに主任となつた者に対する組合脱退工作を強化し、このためこれらの者の組合脱退が続出した。また、被告は組合の職能給撤廃の要求に対して職能給の拡大を回答してこれに固執し、何ら誠実に交渉によつて問題の解決をはかろうとすることもなく、団体交渉を実質的に拒否し続けた。
このような被告の態度のため労使の対立は激化し、右春闘は長期化することとなつた。
(六) 原告は、前記昭和三八年七月闘争において組合執行部の推せんにより闘争委員に選出されて被告との交渉にあたつたほか闘争の全般を指導し、同年七月三〇日開催された第一回組合定期大会において執行委員に選出され、互選により組織部長に就任し、組合活動全般につき活躍してきた。そして、昭和三八年年末闘争・昭和三九年春闘においても闘争委員となり、組合員の先頭に立つて春闘を闘い、ひき続く被告会社からの組合に対する組織攻撃の中で積極的に組織防禦闘争を進めてきた。
かかる原告の活動は当然に被告の嫌悪するところとなり、特に、春闘最中の昭和三九年三月四日前記池田八朗が組合を脱退して以降は、唯一の課長代理たる組合員となつた原告に対し被告会社の攻撃が集中することになつた。
そして、右春闘の一環として行なわれた昭和三九年六月四日第一九波二四時間ストにひき続き、翌五日原告が組合の指令にもとづき組合三役とともに指名ストに入つたところ、被告会社専務から原告に対し「話がある、指名スト解除後でよいから話をしたい」旨の申入れがあり、同日午後五時頃、原告が組合から指名ストの解除を受けて同専務の許へ赴くと、被告は何らの理由も告げることなく原告に対し本件処分を通告してきた。
(七) 以上の経緯から明らかなとおり、本件処分は、原告が被告の意思に反して組合員としてとどまり正当な組合活動を積極的に推進してきたことを嫌悪しこれを理由になされた不利益処分であり、かつ、唯一の課長代理たる組合員である原告を降格処分に付することによつてこれを他の組合員に対するみせしめとし、職制とりわけ課長代理の非組合員化をはかつて組合の運営に支配介入するためになされたものであり、不当労働行為に該当する。
四、原告の職制上の地位等
(一) 本件処分は前記のとおり不当労働行為に該当するものであつて無効であるから、原告は本件処分後も引続き業務局編成部編成課長代理の地位にあつたものである。
(二) 被告会社において、課長代理は、昭和三八年七月一日一課に課長と課長代理を併置することが廃止されて以降、課長と全く同一の職務権限を有していたところ、被告は昭和四一年一〇月二〇日職制変更を実施して課長代理職を廃止し、右同日課長代理職にあつたものを全員従前と同一課の課長とした。
右職制変更に伴なう課長代理から課長への地位の変更は単なる名称の変更にすぎないものであつて、原告は前記のとおり右同日業務局編成部編成課長代理であつたものであるから、被告会社の新たな任命行為を要することなく、右同日自動的に業務局編成部編成課長の地位に就いたことになる。仮に、課長代理から課長への地位の変更が単なる名称の変更といえないとしても、被告会社は、右機構改革によつて課長代理職を廃止するに際し、現に課長代理の職にある原告の同意を得ていない以上原告に対し右機構改革の結果として不利益を及ぼすことはできないものというべきであり、右機構改革後、実質的に従前の課長代理に匹敵するものは課長職以外にないのであるから、原告は被告会社の何らの意思表示を要せず当然業務局編成部編成課長として取扱わるべきである。
(三) 被告会社において課長と副部長は全く同一の職位であるところ、被告は昭和四八年七月一六日業務局編成部における課制を廃止し、同部編成課長の名称を同部副部長に変更した。原告は前記のとおり同部編成課長の地位に就いていたのであるから右同日、被告会社の新たな任命行為を要することなく、自動的に業務局編成部副部長の地位に就いたことになる。
(四) しかるに、被告は、原告が本件処分以降業務局編成部編成課長代理の、昭和四一年一〇月二〇日以降同部編成課長の、昭和四八年七月一六日以降同部副部長の各地位にあることを認めず、右各地位に伴なう役職手当の支給をなさず、右各地位にあることに伴なつて享受し得べき諸種の取扱いをなさないまま現在に至つている。
(五) 被告は、役職手当として、課長代理に対し昭和三八年四月一日以降一ケ月 金一七、〇〇〇円、昭和四〇年四月一日以降一ケ月 金一九、〇〇〇円、課長に対し昭和四一年一〇月二〇日以降一ケ月 金二二、〇〇〇円、昭和四二年四月一日以降一ケ月 金二五、五〇〇円、昭和四三年四月一日以降一ケ月 金三〇、〇〇〇円、昭和四六年四月一日以降一ケ月 金三四、〇〇〇円、昭和四七年四月一日以降一ケ月 金三七、〇〇〇円、昭和四八年四月一日以降一ケ月 金四五、〇〇〇円、副部長に対し同年七月一六日以降一ケ月 金四五、〇〇〇円を、それぞれ被告会社の賃金支払日である毎月二五日に支給している。
(六) よつて、原告は被告に対し、第一次的に、原告が業務局編成部副部長の地位にあることの確認を求め、原告を同部副部長として取扱い、原告に対し本件処分時以降右(五)記載の割合による未受領の役職手当及び被告が将来においても支払わないことが明らかであるので将来の役職手当の支払い(但し、昭和三九年六月分については六、九二〇円を被告から受領しているのでこれを差引いた残額一〇、〇八〇円の支払い)を求める。
五、仮に、右第四項の主張が認められないとしても、本件処分は、前記第三項の経緯によつてなされたものであるから、被告の原告に対する不法行為、又は、原告・被告間の労働契約上の債務不履行に該当する。そして、原告は本件処分によつて違法に課長代理から主任に降格された結果、課長代理にとどまつていれば当然受け得たはずの課長代理・課長・副部長としての役職手当も支給されず、また、一般社員としてこれら役職者より低い賃金体系を適用され、原告と同年令ないし同一勤続年数を有する他の従業員がこれら役職に就いているのに比較して著しく劣悪な差別的労働条件の甘受を余儀なくされ、多大の精神的苦痛を蒙つてきた。原告のこの苦痛を慰藉すべき金額は三、六〇〇、〇〇〇円を下ることはない。
よつて、原告は被告に対し、第二次的請求として、右慰藉料として金三、六〇〇、〇〇〇円及びこれに対する本件処分の日の翌日である昭和三九年六月六日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(被告の本案前の抗弁)
一、原告の本訴第一次的請求の原告が業務局編成部副部長の地位にあることの確認を求める訴は確認の利益を欠き不適法である。
被告会社における課長代理は、被告において昭和三八年七月一日業務の円滑な運営及び責任分担の明確化をはかるため職制変更を実施して同一課に課長及び課長代理を併置することを廃止して以降、課長と同一の職務権限を有する職制上の地位となつたが、その後昭和四一年一〇月二〇日職制変更を実施して課長代理なる職制を廃止し、課長代理在任者を全て従前と同一課の課長に新たに任命した。副部長、課長、課長代理などは被告会社において管理者たる地位を占め、これらに対しては他の一般従業員と異なる給与体系が適用され、管理職手当が支給されているので、その右各役職者の異動は、それぞれの時点において、使用者たる被告が、能力・経験・年令・学識・識見・人物等を総合的に考課判断して適格者を任命することによつてのみ行なわれるものといわねばならず、原告がこれら役職にあるとしてその権利又は法律関係を主張するためには、被告による権利又は法律関係形成行為としての任命行為が必要であることは明らかである。
ところで、被告は、原告に対し、昭和三九年六月五日本件処分によつて業務局編成部編成課長代理の職を免じ、主任に任じて同部編成課勤務を命じたが、その後、右の主任なる身分(職制上の地位ではない。)は呼称変更により主事となり、昭和四一年一一月一日総務局事業部に配置転換して現在に至つている。他方、原告が就任してきたと主張する職制上の各地位については、昭和三九年六月五日富原雅次を、昭和四三年六月五日蜷川昌志を、昭和四四年一一月一八日乗松要作をそれぞれ業務局編成部編成課長に任命して業務を遂行してきたが、昭和四八年七月一六日職制変更を実施して業務局編成部における課制を廃止したことに伴ない右乗松要作を同部副部長に任命して現在に至つている。したがつて、被告は原告に対しその主張する各役職への任命を行なつておらず、また、裁判所がかかる地位を創設ないし形成することは実定法上許されないのであるから、原告の本訴確認の訴はその利益を欠くものというのほかない。
二、本件訴の提起は本件処分後一年以上を経過してなされたものであり、本来的な不当労働行為救済機関である労働委員会においても既に争い得ないこととなつている労働組合法二七条二項の法意に照らし、裁判所においても、本件処分が不当労働行為に該るとの事由をもつて救済することは許されないものというべきである。
(請求の原因に対する認否)
一、請求の原因一の事実は認める。
二、同二の事実は認める。
三、(一) 同三(一)のうち、男女の差異・雇傭形態の差異により労働条件の異なる場合があつたこと、賃金体系中に能力査定に基づく職能給部分があつたこと、時間外手当が一ケ月 五〇時間の頭打ちとされていたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(二) 同三(二)のうち、
1 被告が昭和三七年九月原告を編成課長代理に任命したことは認めるが、その動機に関する主張は否認する。当時編成課には番組編成部門と運行部門があり、番組編成部門を担当していた原告が前職の東北放送株式会社においての経験を有することから原告を編成課長代理に任命したのである。
2 組合が昭和三八年六月六日結成され原告がこれに加入したことは認めるが、加入の日付は不知。
3 その余の事実は不知。
(三) 同三(三)のうち、被告が組合に対し原告主張のとおり文書をもつて非組合員の範囲に関し申入れをしたことは認めるが被告の右行為が不当労働行為になるとの主張は争い、組合加入者・組合脱退者があつたとの点は不知、その余の事実は否認する。
(四) 同三(四)のうち、組合から被告に対し原告主張のとおりの要求がなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(五) 同三(五)のうち、被告が組合に対し二四時間前スト通告の申入れを行なつたこと、違法行為に対する処分留保の通告を行なつたこと、組合のビラ貼り活動の規制を行なつたこと、主任制度を実施したこと、団体交渉において組合の要求を受諾しなかつたことは認めるが、被告の右行為が不当労働行為に該当するとの点は争い、その余の事実は否認する。即ち、被告は、組合が政治的イデオロギーや現実の団体交渉の進展を無視した闘争スケジユールを優先させ、労働争議においてもステーイン・ストライキと称して暴力を用いて会社の業務を妨害し、昭和三八年六月一八日に組合と被告との間で協定された「会社は組合のため掲示板を設置し組合はそれ以外の場所に組合文書の掲示をなさない」旨の覚書に違反して会社施設にビラを貼る等の違法行為を繰り返すばかりか、ことさらに会社業務と組合活動の混同をなすなどの態度をとり続けたのに対し、一貫して近代的労使関係を築くことに努力を払い、組合に対してルールにのつとつた活動のあり方を求めたまでにすぎない。また、主任制度は昭和三九年四月一日実施されたものであるが、各職場において主導的役割を果たしている能力・経験のある年令三〇歳以上の者を対象とし、右により主任に任命された一八名中一六名は組合員であり、組合も臨時大会においてこの受諾を決定したのであつて、かかる主任制度の実施が不当労働行為と目される理由はない。
(六) 同三(六)のうち、原告の組合における活動内容に関する主張部分は不知、被告が原告に対し昭和三九年六月五日本件処分の通告を行なつたことは認め、その余の事実は否認する。
(七) 同三(七)の主張は争う。
四、(一) 同四(一)の主張は争う。
(二) 同四(二)前段の事実は認め、後段の主張は争う。
被告は昭和三七年七月一日以降課長代理に課長と同一の職務権限を持たせて業務を遂行してきたが、年月を経る中で、課長代理在職者が能力、経験等に照らし概ね課長に任命しても問題はないと判断されるに至つたので、昭和四一年一〇月二〇日課長代理なる職制を廃止し、当時の課長代理在任者をそれぞれ同一課の課長に新たに任命したのである。したがつて、課長代理と課長は同一の職位ではなく、未だ課長に任命することを得ない者の職位であつたのであり、それ故、管理職手当においても差等が存していたのである。
(三) 同四(三)のうち、被告が昭和四八年七月一六日業務局編成部における課制を廃止し、従前の同部編成課長を同部副部長に任命したことは認めるがその余の主張は争う。
(四) 同四(四)の事実は認める。
(五) 同四(五)の事実は認める。
(六) 同四(六)の主張は争う。
五、同五の事実は否認し、主張は争う。
(本案に関する被告の主張及び抗弁)
一、本件処分の理由
(一) 原告の在職していた業務局編成部編成課の業務は、昭和三八年七月一日の職制変更前における編成局編成部編成課が担当していた番組編成・運行・美術装置の三種業務のうち番組編成業務を引継いだものであつて、その内容は、番組の編成・番組の広報・番組審議会事務・放送素材の受渡し・フイルムの購入・その他庶務等であり、この業務は、昭和四〇年当時、課長及び課員四名によつて遂行されていた。
(二) 原告は、昭和三七年九月編成局編成部編成課の課長代理となつて、課長を補佐しつつ同課における編成業務を課長に代わつて監督する部分的管理者の地位に就いたが、被告において昭和三八年七月一日職制変更を実施して右編成業務担当部門を業務局の課として独立させるとともに同一課に課長と課長代理を併置することを廃止したことに伴ない、業務局編成部編成課の課長代理となり、課長と同一の職務権限を有する課長代理として、課員の業務処理について指揮・監督にあたること、課員の勤務管理・人事考課を行なうこと、人事異動の上申を行なうことなどの職責を有し、被告会社の業務執行における管理者たる地位にあつて、管理者会議の正規構成員としてこれに出席し会社業務の機密に接するとともに、被告会社の方針に従つて課の業務を正しく運営し、また、課員をして誠実に右方針を実行するよう指導していかねばならない職責を担つていた。
(三) しかるに、原告は次のとおり編成課長代理としての職責を誠実に果たすところがなく、編成課における業務の遂行にしばしば支障をきたしたので、被告は、原告が編成課長代理として不適格であると思料して本件処分をなしたのである。
1 被告は、昭和三八年八月二四日第一回の管理職会議を開催し、右会議の席上、管理職会議は毎月の定例会議として開催日を毎月第二及び第四土曜日午前九時から行なう旨取決めて管理職者に毎回出席するよう求めたが、原告は、右第一回会議に出席したのみで第二回以後の会議に出席せず、また、第一回管理職会議において示された被告会社の秘密事項を組合ニユース に公表する等、課長代理の職責を全うしなかつた。
2 原告は、昭和三八年一二月の年末一時金支給に際し、被告会社から編成課員の査定を行なうよう指示されたが、従業員に差をつけられないとしてこれを拒否した。
3 原告は、昭和三九年三月二一日東京において開催されたNTV系列局番組編成更改に関する会議に出席したが、右会議終了後直ちに帰社して会議の内容及び結果を上司に復命すべきであるのに、右義務を果たさず、休暇届も欠勤届も事前に被告会社に提出しないまま会議終了後の数日間行方をくらませ、被告会社は編成業務の運営に困却した。
4 原告は、昭和三九年四月一五日午後三時頃被告会社東京支社橋本編成課長代理から、特別番組として、当時の内閣総理大臣池田勇人が四月一七日に予定されていた公共企業体労働組合のゼネラル・ストライキについて国民生活に重大な支障を来たす危険性のあることを危惧しその回避を訴える所信表明を行なう番組(以下「池田特別番組」という。)を、同年四月一五日午後八時から八時一五分までの間に、番組の一部変更をなしたうえ挿入して欲しい旨、電話による連絡を受けた。原告は、これを直ちに上司である国井編成部長又は松永業務局長に報告して必要な指示を受け、番組編成の変更に着手すべきであるのにこれをなさず、独断で橋本東京支社編成課長代理に拒絶の回答をなしたうえ、右東京支社からの連絡を組合に伝え、当日午後四時から開かれた春闘要求に関する団体交渉において緊急議題として池田特別番組を中止せよと被告会社に要求した。被告会社本社役員及び番組編成担当幹部は、池田特別番組に関する連絡につき、原告が上司への報告を怠つていたため、右団体交渉の時点まで全く知らず、被告会社においては、東京支社からその後直接国井編成部長に連絡があつて右特別番組を放送する旨の方針を確立し漸く所定の時間に放送を実施することができた。
原告の右行為は、番組編成に関する社内情報を集中して受けるという被告会社のテレビ放送実施に関する最も重要な役職にありながら、自ら権限にない行為を行ない、かつ、上司への連絡義務を怠つたのみならず、問題を組合に持込み団体交渉の議題とさせたものであつて、編成課長代理としての職務を誠実に果たすことなく、会社業務の遂行の場に組合活動を持込んだものというべきである。
5 原告は、編成課長代理としてタイム・カード打刻の必要もなく或る程度時間的制約から自由であり、しかも、報道・技術・制作・送出・営業等との接触もある職務上の地位を利用して、就業時間内に自らの職場で或いはしばしば離席して組合活動を行ない、また、営業関係から放送の空白時間を利用して新番組を入れて欲しい等の連絡を受けても、他の関係部課等と相談することもないままに、労働強化になるとして独断でこれを拒絶することがしばしばあつた。なお、昭和三九年春闘時には、同年三月二七日以降本件処分に至るまでの間、原告は殆ど連日のように、当初は多く全面ストの一環として、後には組合に執行委員である自らに指名ストの指令を発せしめてストライキに参加し、また、団体交渉に組合側代表の一員として参加する等、被告会社の番組編成業務の遂行に担当課長代理不在のため連絡態勢も満足にとれないなどの重大な支障を生ぜしめ、編成課長代理としての自らの職責について何ら省みるところがなかつた。
二、相殺の抗弁
仮に、原告が本件処分後も課長代理・課長・副部長の地位にあつて各管理職手当を支給されるものとすれば、主任手当・残業手当・住宅手当は支給され得ないものであるところ、原告は、主任手当(昭和四四年一一月一八日以降は主事手当)として本件処分時以後昭和四九年一月までに五七九、二〇〇円、残業手当として右同一期間内に一、〇六二、一七〇円、住宅手当として昭和四〇年四月から昭和四五年三月までに二七五、二〇〇円をそれぞれ支給されており、右合計一、九一六、五七〇円は不当利得というべきであるから、右不当利得返還請求権をもつて原告主張の管理職手当請求権と対当額において相殺する。
三、時効の抗弁
仮に、本件処分が不法行為に該るとしても、原告が右不法行為に基づく損害賠償請求の意思表示をしたのは昭和四九年五月二七日であつて、本件処分のなされた昭和三九年六月五日から三年を経過しているので、被告は消滅時効を援用する。
(本案に関する被告の主張及び抗弁に対する認否及び原告の反論)
一(一) 本案に関する一の主張の(一)の事実は認める。
(二) 同(二)のうち、原告が昭和三七年九月編成局編成部編成課の課長代理となつたこと、当時同課には課長があつたこと、及び、昭和三八年七月一日被告主張の職制変更がなされて原告は業務局編成部編成課長代理となつて課長と同一の職務権限を有することになつたことは認めるが、その余は否認する。課長及び課長代理は実質的にみて使用者に代わつて管理・監督する権限を有するものではない。
(三) 同(三)冒頭記載の事実中、昭和三九年六月五日本件処分がなされたことは認めるが、その余の部分は否認する。被告の主張する本件処分の理由は全て本件訴訟に至りこじつけのため持ち出したものにすぎず、不当労働行為性を陰蔽するためのものにすぎない。被告は本件処分を原告に告知するに際し何らの理由も説明しなかつたものであるうえ、本件処分後なされた被告と組合間の団体交渉においても、本件処分について「課長が来たから課長代理は不要になつた」としか説明していないことからもこれは明らかである。
1 同(三)1の事実中、昭和三八年八月二四日第一回管理職会議が開催され原告がこれに出席したことは認めるが、その余は否認する。第二回会議以後は被告において組合員たる課長代理の原告及び訴外池田八朗の両名に対しては組合対策を目的とする会議の性質上召集状を渡さなかつたものであり、なお、管理職会議は定期的に行なわれてはいなかつた。
2 同(三)2の事実は否認する。原告は、国井編成部長から査定につき口頭で意見を求められて「皆よくやつているので差はない」旨返答したものであつて、被告会社における査定が一方的かつ恣意的に行なわれていることこそが問題とされるべきである。
3 同(三)3の事実は否認する。原告は代理人を通じて昭和三九年三月二三日から二五日まで三日間年次有給休暇届を提出し、これは何ら問題なく受理されていたのであつて、また、編成業務の遂行にも何らの支障も生じなかつた。
4 同(三)4の事実中、東京支社から原告に対し池田特別番組に関する連絡があつたことは認めるが、その余は否認する。右連絡は、政府の強い要請を受けて日本民間放送報道協議会(以下「民放協」という。)の幹事社であるTBSが被告会社を含む加盟各社の同意を得て池田特別番組を放送することに決定したことを連絡してきたものであつて、被告会社において右連絡を受けて応諾を決する性質のものではなかつた。原告が政府権力に対する民放経営者の追随の姿勢に対し抗議したことは、放送法に基づく国民のための放送を追求する放送人として当然の行為であつた。
5 同(三)5の主張は争う。被告の右主張は、原告が民主的に運営されている組合の統制に服して積極的に活動したことを本件処分の事由として掲げることに帰する。
二、二の相殺の抗弁のうち、原告が主任手当・残業手当・住宅手当を受給していたことは認めるが、その金額は不知、その余の主張は争う。
原告が請求している管理職手当請求権は賃金支払請求権にほかならないから、労働基準法一七条により相殺は禁止されており、被告の相殺の抗弁は失当である。
三、三の時効の抗弁は争う。
(一) 原告は本件処分の無効を本訴提起(昭和四〇年七月八日)以来一貫して主張しており、それが第一次的には副部長たる地位の確認請求として、第二次的には損害賠償請求として主張されるのであつて、第二次的請求は第一次的請求の変形したものにすぎず、各請求は本来一個のものである。したがつて、損害賠償請求についても本訴提起時から請求されていたものと解されるので、被告の主張は失当である。また、権利の上に眠る者には権利の行使を許さないとする時効制度の趣旨に照らしても、原告は当初から本件処分の無効を主張して本訴を提起していたのであるから、原告の第二次的請求が時効によつて消滅する理由はない。
(二) 仮に然らずとするも、第二次的請求についての時効期間は原告が予備的請求の必要を知つた時から進行を開始すると解すべきところ、原告は現在においても第一次的請求についての勝訴を確信しているのであつて、原告が第二次的請求をなしたのはその直前に裁判所から第二次的請求をなすべきことを示唆されてその必要性を知つたからに他ならない。したがつて、右示唆があつた時から時効期間が進行するのであつて、本件第二次的請求をなすまで三年を経過していないことは明らかであるから、被告の主張は失当である。
(三) なお、本件処分は被告の労働契約上の債務不履行でもあるから、その場合、時効期間は一〇年であつて何らの問題も生じない。
第三、証拠<省略>
理由
第一本案前の抗弁について
一 原告の本訴第一次的及び第二次的請求はいずれも本件処分が不当労働行為に該当する行為である旨の主張に基づいているところ、被告は、本件訴の提起が本件処分後一年以上経過してからなされたこと(本件処分が昭和三九年六月五日になされたことは当事者間に争いがなく、本件訴の提起が昭和四〇年七月八日になされたことは記録上明らかである。)を理由に、本件訴えは労働組合法二七条二項の法意に照らし維持し得ないものである旨主張するのでこの点を考えてみる。
労働組合法二七条二項の一年間の救済申立期間は、労働委員会における不当労働行為救済手続に関してのみ規定されたものである。けだし、労働委員会における救済手続は、不当労働行為に該当する行為の私法上の効果を問題とするものではなく、不当労働行為が存すると認められる場合にその弊害を除去しつつ円滑な労使関係の将来へ向けての形成をはかるための措置を行なうことを目的とするものであつて、不当労働行為によつて乱された労使関係の動態に着眼しつつ裁判所による訴訟手続を通じては法律上なし得ない特別の救済方法を早急に行なう手続であるため、その救済を求めるにつき除斥期間を定めたものというべきである。
しかしながら、ある行為が不当労働行為に該当する場合に、その労働契約ないし雇傭契約関係又はその他の私法上の法律関係において発生すべき私法上の効果に基づき民事訴訟手続を通じて私法上の請求をなすことは当然許容されるものである。そして民事訴訟手続は、右の労働委員会の救済手続とは制度的にその目的及び救済方法を異にするものであるから、民事訴訟手続に前記除斥期間に関する規定の適用されるいわれのないことは多言を要しない。したがつて、被告の右主張は採用しえない。
二 原告は、本訴第一次的請求において、本件処分が無効である結果本件処分後も引続き業務局編成部編成課長代理の地位にあり、以後、被告会社の機構改革に伴なう課長代理制の廃止及び業務局編成部における課制の廃止によつて、当然に、業務局編成部編成課長を経て現在は業務局編成部副部長の地位に就いている旨主張し、同部副部長としての地位の確認を求め、被告は、役職者の異動は専ら被告の意思に委ねられており裁判所はかかる地位を創設する権能を有しないのであるから右確認の訴は不適法である旨主張するのでこの点を判断する。
もとより、企業において、その業務を遂行するため、いかなる内部機構を樹立するか、また、いかなる役職を設けてその運用をはかるかは、いわゆる経営権に属するものとして企業の自由な裁量に委ねられるべきものであつて、裁判所がこれを創設することを得ないことは勿論である。しかしながら、このことから直ちに、役職者の異動があらゆる場合に専ら使用者の自由な裁量に基づく任免行為によつてのみなされ得るものであるということはできない。即ち、使用者がその経営権に包含される人事権を行使して役職員の異動を行なうにあたつては、当該役職に伴なう職務上の権限の程度に応じそれぞれ異なつた裁量の範囲が存するものというべきであり、これを著しく逸脱し人事権の濫用にわたるような異動をなすことは許されないと解すべきである。成立につき争いのない乙第一号証の記載によつて認められる被告会社従業員就業規則第一九条の「会社は、業務の都合により、役職を命じまたは免ずることがある」との規程も、右の事理を含むものというべきである。特に、従業員が一定の役職につくことによつて、就業規則その他により賃金等の労働条件上の待遇において他の従業員とは区別された基準を適用される場合、当該役職につくことは、単に企業内部の職制上一定の職務内容を果たすべき地位につくことを意味するにとどまらず、従業員中の他とは区別された一定の身分として独自の法的効果を伴なつた法律関係にあることを使用者との間の労働契約の一内容として包含するに至るものと解するのが相当である。したがつて、使用者が、人事権を濫用してかかる労働契約の内容とされた待遇を受くべき被用者の権利を恣意的に剥奪することは許されないというべきである。そして、原告が在位してきたと主張する各役職に対してはそれぞれ一定額の管理職手当が支給されてきたことは当事者間に争いがなく、また一般の従業員とは異なる給与体系が適用されてきたことは被告の自認するところであるから、右役職は、身分としての性質をも有するものといえるのであり、単なる従業員としての身分とは区別された独自の法律関係を含むものとして確認訴訟の対象たり得る具体的法律関係というを妨げない。
更に、右各役職が原告の在位していたと主張するそれぞれの期間において被告会社の機構上設置されていたものであることは当事者間に争いがなく、課長代理より課長或いは副部長への就任には被告のいわゆる任命行為が介在してはいるが、課長代理制度の廃止により、特段の事情がない限り課長代理の職に在つたものは総て課長に任命し、また、課制を廃止した場合には課長を当該部の副部長に総て任命してきた事情が窺われることよりして、原告の主張する課長代理、課長、或いは、副部長はほぼ同格の職制であり、実質上は呼称の変更とも解せられるから、原告が業務局編成部副部長の地位にあることの確認を求める訴において、裁判所は、原告を課長代理から免じ、課長及び副部長に任じないとの被告の作為・不作為について本案に関する判断をなしたうえそれに応じた法的効果を認めて、一定の場合に、使用者たる被告の不作為にもかかわらず、原告がその主張する役職にあるものと認定することを妨げられるものではない。このように解したからといつて、裁判所が役職を創設したことにならないことはいうまでもない。そうとすると、原告の右確認の訴えにおいて確定を求める地位が確認訴訟の対象たる資格を有することは明らかである。そして、被告が原告の右役職にあることを否定しているのであるから原告は本訴確認の訴えにつき即時確定の利益を有するというべきである。したがつて、原告の本訴確認の訴は適法であり、被告の前記主張は採用できない。
第二本案について
一 請求の原因一及び二の事実は当事者間に争いがない。
二 原告が昭和三七年九月一日編成局編成部編成課の課長代理となつた当時、同課には課長が配置されており、同課は番組編成・運行・美術装置の三種業務を取扱つていたこと、原告は番組編成業務を担当する課長代理であつたこと、昭和三八年七月一日被告会社において機構改革が実施され、右番組編成担当部門が業務局所管の課として独立し業務局編成部編成課となり、原告は同課の課長代理となつたこと、その際一課に課長と課長代理を併置することが廃止され、原告は同課の課長代理として課長と同一の職務権限を有するに至つたこと、同課の担当業務たる番組編成業務には、番組の編成・番組の広報・番組審議会事務・放送素材の受渡し・フイルムの購入・その他庶務等の業務が含まれていたことは当事者間に争いがない。
三 成立につき争いのない甲第二号証、同第七号証、同第一五号証、同第一八号証、同第一九号証(鉛筆による書込部分を除く)、同第二八号証、同第二九号証の一・二、同第三三ないし第三八号証、同第四三号証、乙第二・第三号証、同第六ないし第二八号証、同第三二号証ないし第三七号証の各記載、原告本人尋問(第一・第二回)の結果及びこれにより成立を認め得る甲第三・第四号証の各一ないし五、同第六号証の一ないし四、同第一一ないし第一四号証、同第一六号証、同第二七号証、同第三〇号証の各記載、証人岡島秀和の証言及びこれにより成立を認め得る乙第三九号証、同第四一号証の各記載、証人大野道雄、同乗松要作、同穴沢仂(第一・第二・第三回)、同池田八朗、同判正徳、同岡島信一、同国井勝彦、同田中俊郎、同上井浩、同橋本正平の各証言、並びに、弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められ、前掲証人穴沢仂(第一・第二・第三回)、同岡島信一、同国井勝彦、同上井浩、同岡島秀和の各証言及び原告本人尋問(第一・第二回)の結果中右認定に反する各供述部分は措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(編成課長代理の職務権限)
(一) 番組編成の業務は他の部課の業務と関連する場合が多く、その中には、例えば、営業や東京支社からの番組編成に関する要望を制作・送出・技術その他の部課に取り継いで全体の調整をはかり、また、営業との関連性が強いことから営業局会議にも参加して平素から意思の疎通をはかり、営業担当者に販売用資料を提供する等の業務が含まれ、その他一般に番組編成にかかわる社内連絡は編成課長代理を窓口として交換される取扱いになつていた。
(二) 原告は、被告会社に就職する前に勤務していた訴外東北放送株式会社において民間テレビ放送の番組編成業務を担当していたことがあつたところから、放送開始後まもない時期でかかる経験を有する者が比較的僅少であつた被告会社の番組編成業務を担当した。当時会社全体としての実務経験の積み重ねも乏しく、また、社屋も分散していた等の事情から、他の部課との連絡・協調関係も十分円滑なものとして確立されていなかつた。次いで、編成課長代理が一般に課長と同一の権限を有するようになつて後は、課員四名程を有する編成課を統率する末端の職制としてその業務を行なつてきた。
(三) かかる末端の職制としては、当時、課制をとらない部において副部長又は副部長代理、課制をとる部において課長又は課長代理があり、副部長と課長、副部長代理と課長代理がそれぞれ同格であつて、概ね四、五名の部員又は課員よりなる部又は課の単位毎に置かれていた。
(四) 課長代理は、課長のいない課にあつて、被告会社の業務執行上、局長―局次長―部長―課長代理―課員という職制ラインに位置し、当該課における業務全般を統轄する立場にあるが、その職制としての権限は極めて限られたものであつた。すなわち、主に局長以上の段階で決定される被告会社の業務方針の枠の中で課における担当業務を円滑に遂行していくために課員を総率・指導して職場の規律を保持しつつ、日常業務の通常の進行をはかつていく権限が与えられていたにすぎず、課長代理がその専権において自らの裁量で決し得るのは、課員の年次有給休暇・特別休暇の承認、課員に対する時間外勤務・休日勤務の命令、日帰り出張の命令、課における一定額以下の支出の承認等の事項に限られていた。被告会社は課長代理をいわゆる管理職として「監督若しくは管理の地位にある者」に該当するとして、役職手当として一定額の課長代理手当を支給し、タイム・カード打刻による勤務時間の管理を行なわず、したがつて、時間外手当の支給を行なわなかつたけれども、課長代理は自らの勤務時間を自己の自由な裁量によつて管理し得るものではなく、部長による勤務管理を受け、休暇・欠勤・遅刻・早退等についての届出義務が課されていたうえ、部長を第一次査定者として勤務評定の対象者となり、また、会社の業務方針や労務管理方針の決定について参画する権限を有しなかつた。即ち、課長代理は所属課の業務に関し業務処理計画や要員計画、改善案や予算案を作成すべき職務上の義務を担つていたけれども、その実質は課における意見をとりまとめて具申し上部機関の斟酌に委ねるもので、会社業務の方針決定に参画する権限を有するものではなく、また、課員の人事異動についての意見の具申を行ない、一時金等の支給に際して課員の人事考査の第一次査定を所定の書式によつて行なう等の職務を果たすべき地位にあつたけれども、これら課長代理から提出された意見や査定は人事事項に関する決定を行なう役員会に部長を通じて提出され参考資料として斟酌される程度であつた。また、被告会社においては昭和三八年八月の役員会の議によつて管理者会議を置くことが決定され、課長代理以上の役職にある者がその構成員となつたけれども、管理者会議は、主として役員会において決定された方針を伝達しその周知徹底をはかるための機関であつて、会社の業務方針・労務管理方針について決定権限を有する機関ではなく、したがつて、会社の業務方針の決定等をなすのに必要な機密事項が提示され協議に付される性質のものではなかつた。
(組合結成及び争議の経過)
(一) 原告が被告会社に入社した当時、被告会社には労働組合が存在せず、従業員の中に労働組合運動の経験者も殆どいない状況であつた。原告は、東北放送に在職当時民放労連傘下の同社の労働組合において役員歴を有していたことから、被告会社従業員に労働組合の必要性を説き始め、これが契機となつて、被告会社従業員間にも労働組合結成の機運が芽生えた。原告は、課長代理就任後も従前と同様、組合結成機運の醸成に努め、それを推進する他の中心メンバーの活動・学習を理論面・実践面において援助し、また、民放労連と連絡を保つ役割を果たしていたが、その課長代理たる地位は他のメンバーから一種の警戒心をもつてみられる状況であつた。
かくして、訴外乗松要作、同穴沢仂らが中心となつて、民放労連の援助を得つつ、昭和三八年春頃から数次にわたつて組合結成準備会が秘密裡に重ねられて組合結成大会の準備が整えられ、右準備会は、同年六月六日、全職場一斉に文書を撒いて参加を呼びかけ、組合結成大会を開催した。組合結成大会では、従業員百数十名の参加を得て、組合規約を採択し、執行委員長乗松要作以下の役員を選出して組合を正式に発足させ、また、組合は、右結成大会の議決によつて、民放労連に加入した。組合員数は、同年六月一〇日現在で一九二名に達した。
(二) 準備会の作成した組合規約案では課長代理以上の役職にある者は組合員資格を有しないこととされていたので原告は結成大会に参加しなかつたが、結成大会ではこれを修正して組合員の範囲を「課長以上の職にある者を除く従業員その他組合の認めた者」とする規約を採択したので、原告は同年六月七日組合に加入し、役員の地位には就かなかつたものの、民放労連傘下の組合運動経験を有する数少ない一人として、組合活動全般につき理論・実践両面にわたつて指導的立場を占めるに至つた。特に、原告は課長代理・副部長代理在職者に対する組合加入説得活動の中心となり、また、同年六月一〇日被告が組合に対し文書をもつて課長代理以上の役職者その他について非組合員化を求め、組合がこれを組合運営に支配介入する不当労働行為である旨文書をもつて反論するという経過の中で組合と被告会社の対立が生じ、課長代理であつた組合員六名中原告と訴外池田八朗を除く四名が同年六月二二日までに組合を脱退するという事態が起きたが、原告は組合員としてとどまり右脱退者らに翻意を促す等の活動を率先して行なつた。
(三) 組合は、被告会社が同年七月一日付をもつて人事異動を伴なう機構改革を実施しようとしていることを聞き知つて、同年六月二八日、被告に人事異動・機構改革に関する団体交渉を申入れたが、被告は人事に関する団体交渉の必要はないとしてこれを拒否した。そこで、組合が右同日臨時大会を開いてスト権集約を決議すると、被告は翌二九日団交開催要求を受諾したが、組合は同日八三パーセントの賛成率でスト権を確立した。七月一日から数次にわたり団体交渉が重ねられ、同月一三日、「会社は企業を円滑に運営するため常に人事には公正妥当を期し、不当労働行為は行なわない。労働強化になる人事をする意志はない。これを相互に了承し、すみやかに組合提出の二案件並びにこれに関連する事項については小委員会に付託し、検討する。尚今後会社と組合は健全な労使慣行を作るよう最善の努力をする。」旨の覚書をとりかわして、右争議は終結するに至つた。原告は、右争議において、組合執行部の推せんにより闘争委員となり、要求の作成・被告との団体交渉その他組合活動の全般にわたつてその中心となつて活躍し、右争議終結後、七月三〇日開催された組合第一回定期大会において執行委員に選出され、執行委員の互選により、組織部長に就任した。
(四) 組合は、右争議前の昭和三八年六月、組合事務所・掲示板の設置・組合費チエツクオフ の要求、賃金台帳公開要求、厚生面に関する日常的諸要求、女子三〇歳停年制廃止要求等を被告に提出していたが、右争議後も、九月には組合有給休暇二〇〇日要求、長期臨時者の社員化要求、一〇月には労働時間短縮を骨子とする勤務協定締結要求、厚生面に関する日常的諸要求、一一月には未払時間外労働の賃金補償要求等を被告会社に提出して団体交渉を重ねていたが、一一月一日年末一時金に関する要求を提出して昭和三八年年末一時金闘争態勢に入つていつた。
(五) 右年末一時金争議は、組合が回答期限としていた一一月一一日に至るも被告の回答が呈示されず、かえつて、被告が同月四日団交時間、団交出席者数の制限を含んだ団体交渉に関する覚書の、同月一一日ストライキの二四時間前通告を義務付ける等の事項を含んだ争議行為に関する覚書の各締結を組合に要求し、組合がこれを正当な組合活動を制限するものとして拒否するという対立の中に開始された。組合は、同月一一日臨時大会を開いて一三日までに回答がなければスト権集約に入る旨決議するとともに闘争宣言を発して闘争委員会を発足させ、同月一五日九五パーセントの賛成率でスト権を確立した。被告が翌一六日第一次回答を提示して後、組合は四波にわたるストライキを決行して、一二月三日提示された被告の第五次回答を基礎にして同月七日最終的協定に達して右争議は終結するに至つた。右争議において、被告は、組合がリボン・腕章・鉢巻等を就業時間内に着用する闘争手段をとり、或いは、ストライキにあたつてテレビ塔内演奏所や本社内職場の一部を占拠する戦術をとつたことに対し抗議するにとどまらず、回答の提示・団体交渉の進展・組合の争議行為の実施など争議が局面を展開するのに歩調をあわせるごとく、多数回にわたり、従業員に対し、組合がストライキを実施するのは労使間のフエア・プレーの精神に反する、ストライキを続行すれば現に呈示した回答も再考する、違法な争議行為に対しては処分も考慮しなければならない等の内容を含む文書を配布し、また、団体交渉においても争議行為に関する前記覚書の締結を回答提示の条件として主張する等、強い態度で臨み、組合は、被告の右諸行為を不当労働行為であると主張し、被告と組合は鋭く対立した。原告は、右争議においても、闘争委員として組合の中心となつて争議の全般を指導していた。
(六) 組合は、被告会社における当時の賃金体系が被告による査定によつて具体的支給額の決せられる職能給部分を相当多く含み、しかも、右査定の体系及び基準が公表されていなかつたことから、かかる賃金体系を労働者相互の競争心をあおり、全体として低賃金に抑えるとともに労働者に対する差別支配の強化をもたらすものであると評価して、前記年末一時金争議前、昭和三八年一〇月頃から、職能給の問題点及び被告会社におけるその運用状況等について、調査・情宣・学習活動を強めていた。このような中で、組合は、昭和三九年春闘における中心的課題として、職能給の撤廃、具体的には、一律ベースアップ・査定の排除・年令別最低賃金・身分別賃金等の差別賃金の排除等の要求を掲げて闘う旨の意思を固め、昭和三九年二月八日、被告に対し三月二日を回答指定日として、右基本的要求に基づいた賃金改訂に関する要求を提出して、春闘態勢に入つた。
(七) 右三月二日の指定日に被告の回答はなされず、回答日をめぐつて被告と組合の対立が続く中で、組合は同月一三日臨時大会を開催してスト権集約を決議し、同月一六日、被告は第一次回答を提示したが、右同日組合は八九パーセントの賛成率でスト権を確立し、同月一九日右第一次回答を拒否する旨被告に通告して第二次回答の提示を要求した。被告は、第二次回答を提示しないまま、同月二六日団体交渉の席上において、年令三〇歳以上の従業員で各職場の主導的立場にある者を職制上の地位ではないが主任としての身分に任じて主任手当を給するという主任制度を四月一日付をもつて実施する旨の発表を行なうに至つた。組合は、被告の右態度を不誠実であるとして翌二七日第一波ストライキを実施するとともに、同月二八日臨時大会を開催して、主任制度の新設は組合員の分断をはかる組織攻撃であるとの基本的認識を表明しつつも主任制度の受諾を決議した。四月一日被告は組合員一六名を含む一八名を主任に任命した。
組合は四月一日第二波ストライキを実施し、更にストライキを重ねつつ賃金要求について被告と交渉を続けていつた。他方、従前の三六協定が三月三一日限り失効することに伴ない勤務協定締結をめぐつて続けられていた団体交渉も同月二一日以後具体的進展がなかつたことから、四月一六日臨時大会を開催して勤務協定に関するスト権集約を行なう旨決議し、同月二〇日九〇パーセントの賛成率をもつて右スト権は確立された。
組合は四月一七日第五波及び第六波のストライキを実施した。被告は、同月二一日開催された団体交渉において、第二次回答を翌二二日提示する旨表明したものの、二二日から二三日にかけて行なわれた団体交渉において、賃金問題が解決されても勤務協定に関する問題が未解決である以上円満な解決にはならないと主張し賃金及び勤務協定の一括解決が期待されない限り第二次回答は提示できないとの態度をとつた。組合は、同月二三日第七波ストライキ、二五日第八波ないし第一二波ストライキを実施して第二次回答の提示を要求し、二六日中央闘争委員会において「全面無期限ストを含むあらゆる統一行動で組織の全力をあげて闘う」旨決定したところ、被告は同月二八日第二次回答を提示した。
組合は、右第二次回答が職能給を第一次回答以上に強化するものであるとの認識にたつて、第二次回答に関する情宣活動を強める一方被告に対し再回答を求め、五月一一日開催された臨時大会で「職能給を強化する第二次回答を拒否し、ねばり強く長期にわたつて闘う」旨の決議を行ない、被告に第三次回答の提示を要求して、同月一四日第一三波ストライキから六月二日第一八波ストライキを経て、同月四日午後一時から第一九波二四時間ストライキを実行した。
(八) 被告は、右春闘の期間中、従業員に対し、組合が民放労連の統一行動と歩調をあわせて争議行為を展開しているのは正当な行為ではない、被告が誠実に回答をなそうとしている段階でスト権集約を行なうのは良識ある組合活動ではない、職場占拠・ロータリーストなどの違法な争議行為に対しては責任を追及する、組合が平静に話し合う姿勢に転じない限り団体交渉を開いても意味がない、組合が社外においてビラをまくのは正当な行為ではない等の内容を有する文書をしばしば配布し、組合は、被告の右行為がいずれも組合に対する組織攻撃であるとして、組合ニユース その他の手段によつて反論していた。
また、原告とともに課長代理の地位にあつて組合員であつた訴外池田八朗は右春闘初期の三月四日組合を脱退し、四月一日主任制度が実施されて後主任に任命された組合員の組合脱退が相当数に及び、被告が第二次回答を提出して後五月二五日までに八名の組合脱退者が生じた。
(九) 原告は、前記職能給に関する調査・情宣・学習活動の中心となつて活躍し、右春闘においては闘争委員・戦術委員に選出され、組合三役と並んで春闘における組合の活動全般を指導・実践する中心となつた。組合は、右春闘において、前記第一波ないし第一九波ストライキのほか、多種の争議行為を実施したが、前記のとおり、被告と組合間の対立・緊張関係が長期にわたり継続する中で、組合専従の制度がなかつたので、組合の春闘態勢全般の指導を強化し、また、被告との交渉を実行するため、組合三役及び戦術委員に対し指名ストライキの指令を発することが多かつた。原告は、春闘時における組合の活動の殆ど全ての部面にわたつて関与し、特に、三月二六日主任制度の発表があつて後は、殆ど連日のように闘争指導の先頭に立ち、また、被告との団体交渉に組合側代表の一員として参加し、或いは、団体交渉の開催要求に参加した。これら原告の組合活動の多くは、全面ストライキに加わり、又は、組合の指名ストライキの指令に服して、或いは、有給休暇を利用することによつて、就労義務を免れたうえでなされていたが、原告は、右のような諸措置をとらない場合であつても、しばしば、他の職場でストライキが行なわれている際にその指導に赴き、或いは、団体交渉開催要求交渉に参加し、また、団体交渉に出席していた。なお、当時、被告と組合間には就業時間内の組合活動に関する協定はなく、また、団体交渉は就業時間内に開催されることが多かつたが、組合三役であつてもストライキ指令の発せられていないときには自己の業務の遂行に支障をきたさないよう同僚の従業員と業務遂行の打合せをなしたうえ団体交渉に出席し、右措置が行なわれ得ないときは出席をみあわせていた。
(本件処分に至る経緯)
(一) 原告は、昭和三八年八月二八日開催された被告会社の第一回管理者会議に出席し、その後、組合の職場集会において、右第一回管理者会議の席上被告会社から「組合は連日職場集会を活発に開いている。これに対し、職制も準備を固めていかなければならない」旨の発言があつた旨公表して、管理者会議が組合対策のために設置された機関であると主張した。右管理者会議は毎月第二・第四土曜日に定期的に開催されるものとして発足したけれども、召集状が構成員に対しその都度配布されて出席を求める取扱いがなされ、まもなく、当初の定期的開催の方針は実施されなくなつた。被告は、第二回管理者会議以降原告に対してはことさらに召集状を配布せず、原告は第二回目以後の右会議には出席しなかつた。
(二) 原告は、昭和三八年年末一時金の支給に際して、上司の訴外国井勝彦編成部長から編成課員の査定をなすべきことを求められたが、「皆よくやつているから差はない」旨口頭で答えて、査定表の記載をなさなかつた。かかる査定は、本来、第一次査定者たる課長代理が査定表に記載したうえ第二次査定者の部長が更に記入を加えて役員会に回されるものであつたが、原告が右記載をなさなかつたため、第二次査定者たる国井編成部長の記載のみの査定表が提出されることになつた。
(三) 原告は、昭和三九年三月二一日(土曜)に東京の日本テレビで行なわれた四月からの番組変更に関する系列局番組編成会議に、編成局長とともに出席したが、当日右会議の結果について大略を東京支社から電話で報告したのみで、編成課員に対し「月曜から二、三日有給休暇をとるので届出をよろしく頼む」と伝言して当時福島県いわき市の病院に入院中であつた妻の母の見舞いに出かけ、二五日には有給休暇のまま被告との団体交渉に出席して、二六日から出社した。右有給休暇については事前に原告から編成部長への届出はなく、原告の依頼を受けた編成課員から届出書が代筆により提出されて受理された。当時、原告の自宅には妻が在宅しており電話が設置されていたが、被告から原告の所在を問い合わせるなどのことはなく、また、原告が東京における会議出張後二六日に至りはじめて出社したことによつて、被告会社の四月以降の番組更改につき特段の支障が生じることはなかつた。
(四) 民放労連は、昭和三九年四月一四日、民放協の申合せに基づいて池田特別番組が民間放送を通じて放送される計画を知つたので、加盟各組合に対し、団体交渉を通じて会社を追及するよう指令を発した。原告は、四月一五日午後三時過頃、被告会社東京支社訴外橋本編成課長代理から、当日夜八時から八時一五分までの間池田特別番組を放送することになつたので放送されたい旨の電話連絡を受けた際、「そのような放送をすることは問題があるので放送すべきでない」と答えたのみで、「それは編成課長代理としての意見か、それとも組合員としての意見か」と詰問する訴外橋本の問いに明確に答えることなく、右特別番組の放送に関しとるべき措置等について何ら打合せもしないまま電話を切つて、直ちに、その場に居合わせた他の組合員らと池田特別番組問題を話し合うとともに、組合教宣部長に被告会社においても右番組を放送する旨の連絡があつたことを告げた。組合はこれをうけて直ちに闘争ニユース 号外を発行して右事実を組合員に知らせるとともに、当日午後四時から開催された春闘に関する団体交渉の冒頭に池田特別番組放送問題を緊急議題として提出して会社にこれを中止するよう要求した。
被告会社において右特別番組を放送するためには、右番組はキー局である日本テレビが当日予定していたナイター中継番組の冒頭の一五分間部分を特別番組のために割愛し、スポンサーの了解・編成等の措置を全てとつたうえで流してくる番組であつて、被告会社は右ナイター番組を受けて放送する予定にしていたのであるから、特別番組が行なわれる旨を予告するテロツプ を作成して右放送時刻までに視聴者に予告する措置をとることが必要となるだけであつた。他方、被告会社において右特別番組を放送しないこととするためには、独自に八時から八時一五分までの番組を作成して放送するか、キー局たる日本テレビに依頼してマイクロ回線の余分を利用して別番組を独自に送つてもらうための手筈をとらねばならないが、右特別番組の実施が政府の依頼を受けて民放協の申合せに基づいていたことから、被告会社としては、事実上、右特別番組を放送しない旨の決定はなし難い状況であつた。しかしながら、放送するかしないかは、放送編成権を有する被告会社において決すべきものであつた。
原告は、前記のとおり東京支社からの連絡を受けたにかかわらず、これを上司の編成部長・業務局長らに連絡する措置をしないまま、午後四時からの団体交渉に出席した。東京支社橋本編成課長代理は、原告の応答振りに不信の念を抱き、原告に連絡してから相当時間経過後ようやく国井編成部長に電話連絡することができ、国井編成部長が上司に連絡した結果、被告会社としても池田特別番組を放送する旨の決定がなされ、テロツプ 作成等の措置がとられて午後八時から池田特別番組は放送された。
(五) 原告は編成課長代理在任中、東京支社や営業関係担当者らから、放送の空白時間を利用して新しい番組作成の依頼を受けた際、しばしば独断で「労働強化になるのでできない」旨拒絶することがあり、そのように断わられたものの中には、再度の依頼や実状の問合せが制作担当者の許に直接なされたり、その結果、制作されるようになるものもあつた。
(六) 原告は編成課長代理として被告会社の番組編成に関する情報の流れの中心にあつたけれども、しばしば離席しているため、連絡が十分とれない事態が生じ、東京支社や営業関係等から業務上支障がある旨の苦情が被告に申出されるようになつた。被告は、昭和三九年五月開かれた役員会において、かかる業務上の支障を除去するため編成課長を置くこと、原告を編成課長代理から免じて主任に任ずることを決定し、六月五日、指名ストの指令に基づいて組合の闘争指導本部にいて組合三役らと方針を討議していた原告に対し、被告会社専務名で「指名スト解除後でよいから話をしたい」と伝言し、指名スト指令を解かれて専務の許へ赴いた原告に対し本件処分を通告するに至つた。
四 以上認定の事実に基づき本件処分の効力につき判断する。
(一) 原告の在職していた編成課長代理の職責は、前認定のとおり、極めて限定された範囲での管理権限を委ねられていたにとどまり、とうてい使用者と一体のものとして業務運営・労務管理上の機密に接しつつその方針決定に実質的に参画する地位にあつたものとは認められず、原告が本来その職務を誠実に遂行しなければならない部面に組合活動を持ち込むものでない限り、原告が組合に加入し、或いは、その統制に服して正当な組合活動に従事することは、たとえそれが被告会社の業務の遂行に支障を及ぼす場合があつても、労働者の団結権・団体行動権が法認されていることに鑑み、使用者たる被告はこれを甘受しなければならないものというべきである。他方、編成課長代理としての地位は、限られた管理権限しか託されていないとはいえ、正当に決せられた被告会社の業務運営・労務管理の方針が最小単位の職場としての課にまで貫徹し、当該職場における通常の業務執行が円滑に遂行されるよう職場規律の維持をはかるうえで無視し得ない役割を担つているのであるから、原告がかかる末端の職制として誠実にこの委ねられた職責を果たしていく能力と姿勢を有しているか否かは使用者たる被告において正当な業務上の利害関係を有する事項ということができるから、その適格性に関する判断は、人事権を濫用したものと認められない限り、使用者たる被告の広範な裁量に委ねられているものというべきである。
(二) そこで、被告が原告を編成課長代理として不適格であると判断した個々の事由につき検討する。
1 原告が第二回目以降の管理者会議に出席しなかつたのは、前認定のとおり、被告においてことさらに原告の出席し得ない状況を作出した結果にほかならず、また、原告が職場集会の場で、管理者会議の内容につき同会議において「組合は連日職場集会を活発に開いている。これに対し、職制も準備を固めていかなければならない」という発言がなされた旨公表したことは、右引用された発言自体とうてい保護さるべき正当な業務機密性を有するものとは解されないから、職制として機密保持義務を怠つたものということはできない。したがつて、原告の右公表とその後の不出席をもつて、原告が編成課長代理として不適格であるとする判断の資料とすることは許されない。
2 原告が、昭和三八年年末一時金の支給に際し、国井編成部長から課員の査定を行なうよう指示されたのに査定表の記載もせず、単に口頭で「皆よくやつているから差はない」旨答えたにすぎないことは、実質的には査定を拒否したことと異ならない。一時金の支給額の多寡を査定に係らしめる制度が被告会社において実際に行なわれていたものであり、それが違法なものとは解し得ないのであるから、被告会社は査定が適正に行なわれるよう第一次からの査定がそれぞれ誠実になされて最終査定機関の許に届く労務管理態勢を維持することに正当な業務上の利害を有するものというべきである。そして、課長代理として第一次査定権者であつた原告は、右査定を誠実に行なう職務上の義務を負つていたものということができる。勿論、原告が個人として或いは組合員として査定制度を不当なものととらえ、また、これを撤廃させるための組合活動を行なうことは自由であるが、それが故に原告をして右査定義務から免れさせるものではなく、右査定拒否は、課長代理として誠実に職務を遂行しなければならない部面に組合活動をもちこんだものというのほかはなく、このことは、原告が誠実に課長代理の職責を果たす姿勢を有しないものと評価されてもやむを得ない。
3 原告が東京で行なわれた系列局番組更改会議終了後同僚に代筆による休暇届の提出を依頼し所在も知らせないまま有給休暇をとつたことは、原告の自宅に連絡すればその所在を確認し得る状況にあつたのであるから、これを厳密な意味で行方不明ということはできないが、課長代理として課の統率者であるかぎり、急用その他に備え自ら進んで所在を申告しておくことが望ましいことはいうまでもなく、この意味において課長代理の職責を担う自覚に乏しいと評価されてもやむを得ない。また、有給休暇の請求に対しては使用者が一定の要件の下でその時季の変更をなすことができることに照らせば、原告の右有給休暇請求が会社のかかる権限の行使をあらかじめ不能ならしめる形態においてなされたものであることは否めず、右有給休暇請求が国井部長によつて別段とがめられることなく受理されたとはいえ、課における職場規律の維持をはかり課員の休暇についても適正にこれを管理していく職責を担う地位にありながら自らその規律をないがしろにしたものとして、課長代理の職責を誠実に果たす姿勢に欠けると評されてもやむを得ない。
4 池田特別番組を放送されたい旨の被告会社東京支社からの連絡は、民放協において事実上放送の一斉実施を決定し全ての用意を整えたうえなされてきた連絡であつて被告会社としてこれを放送しない旨の独自の判断をなすことは事実上困難な状況にあつたことは否めないにしても、被告会社がその最終的責任において放送をなすべきか否かを判断したうえ然るべき措置を決すべき性質の連絡であつた。しかも、これが日常業務の通常の運行に属しない事項であることは自明のことであり、かかる番組編成に関する社内情報は全て編成課長代理たる原告を窓口としてなされることになつていたのであるから、原告としては、直ちに上司に連絡してその決裁を仰ぐべき職務上の義務を負つていたものというべきである。もつとも、原告は右連絡をすでに決定済みの事項の連絡であると思い込んでいた節も窺われるが、このことを考慮に容れても、原告は、自己の当該放送には反対である旨の見解を述べるに急なあまり、連絡の趣旨を十分に確認しなかつた点において職務を誠実に遂行しなかつたものと解されるのみならず、臨時番組が放送される場合には、そのことを予告するテロツプの作成等も必要とされるのにそのための手配もなさなかつた点に重大な職責の懈怠が認められる。
しかも、原告は東京支社から右連絡を受けるや、直ちに、就業時間内であるにかかわらず、池田特別番組に反対するための組合活動に従事しているのであつて、原告のこの行為はとうてい正当なものということはできない。原告は、編成課長代理として勤務中であつたのであるから、右特別番組を放送することが放送法に違反する違法なことであると考えていたのならば、その旨上司に具体的理由を付して上申し、然るべき決定機関にその決定を委ねるべきであつたにかかわらず、これを怠り、直ちに組合活動に反対の場を求め、課長代理としての職責をなおざりにしたことは、誠実に課長代理の職責を果たすべき面に組合活動を持ち込んだものとしての非難は避け難く、誠実に会社の業務方針を遂行していく姿勢に欠けるものと評価されてもやむを得ない。
5 原告が番組制作依頼を受けた際に独断でこれを拒絶した行為は、前記のとおり限られた権限しか有していない課長代理としては越権行為というべきである。かかる場合には、関連部課に照会し、或いは、関連部課との連絡協議会等の席に問題提起して後、然るべき決裁を受けられるようはかる義務があつたにかかわらず、これを怠つたものというべきである。勿論、原告において、当該制作依頼を受ければ労働強化になるから反対であるという意見をもつことは自由であるが、編成課長代理として担つている右義務を果たさないままに独断でこれを拒絶し決裁機関の関与する余地を封じてしまうことは、編成課長代理たる職責を担うにふさわしくないと評価されてもやむを得ない。
6 原告が離席していたため番組編成にかかわる事項の連絡が不十分となつたことの相当多くのものは、前記認定の事実に照らせば、昭和三九年の春闘時、原告が指名ストの指令に基づいてストライキに入つていた際のものであると推認することができ、右の限りにおいては、被告は原告が離席していたため業務上の支障を来たしたからといつてこれをとがめえないものであつて、このことをもつて被告が編成課長代理として不適格であると判断することは許されない。けだし、前説示のとおり、原告が編成課長代理の地位にあつたことは原告が組合員として組合活動に従事することを妨げる理由とはなし得ないのであつて、原告が指名ストに入つたのは、被告と組合の間にすでに争議状態が発生してスト権が正当に確立された中で組合の発する指名ストの指令に服していたものにほかならず、原告が組合に占めていた指導的地位及びその指導的力量と春闘の中で組合と被告の間に緊迫した局面が続いていた事情を考慮すれば、組合が原告の指導的力量を全面的に活用するため原告に対して指名ストの指令を発したことは正当な団体行動権の行使として許容されるものであつて、原告に対する指名ストの指令が連日の如くなされるに至つたからといつて、これをもつて団体行動権を濫用したものということはできないからである。
しかしながら、原告の離席がストライキに入つていた際のものばかりでないことは前認定のとおりであり、原告は、自己に対するストライキ指令が発せられていず、また、職務時間内の組合活動を認める労使慣行が確立していないにもかかわらず、編成課長代理としての職務を放棄して、他の職場のストライキの指導に赴き、或いは、団体交渉開催の要求にでかけ、また、団体交渉に組合代表の一員として参加する等の組合活動に従事していたのであつて、春闘の局面が緊張の度合を高めるにつれて原告がこのように職務を放棄して組合活動に従事することがますます頻繁になつていつたものと推認するに難くない。しかして、原告がこのように編成課長代理の職務を放棄して組合活動に従事していたことは、誠実に編成課長代理の職務を果たさねばならない部面に組合活動を持ち込むことにほかならず、編成課長代理として編成課における職場の規律を維持すべき地位にありながらかかる規律を自らないがしろにしたものとして、原告は編成課長代理の職責を担うにふさわしくないと評されてもやむを得ない。
(三) 右に説示したところを総合すれば、被告において原告が編成課長代理としての職責を託するのにふさわしくないとの判断に至つたのはまことに相当であつたというべきであり、これが人事権行使における裁量の範囲を逸脱するものと解することはできない。なお、春闘が激化する中で原告の編成課長代理としての不適格性を裏付ける事実が重なつていつた事情から見れば、被告が春闘における組合の要求及びその行なう争議行為に対し強く反発していたこと、並びに、本件処分が春闘の局面が緊迫していた時点に組合の中心的活動家で唯一の課長代理たる組合員の原告に対しなされたことをもつて、本件処分が原告の正当な組合活動を理由として、或いは、組合に対する支配介入の意図の下になされたものということはできない。また、前掲甲第二八号証の記載、証人穴沢仂(第三回)の証言及びこれにより成立を認め得る甲第五一号証の記載、証人穴沢仂(第一・第二回)の証言、原告本人尋問(第一・第二回)の結果によれば、本件処分後数次にわたり開催された被告と組合間の団体交渉において被告は本件処分の理由について単に新たに編成課長が来たので課長代理は不要となつたと述べるのみで具体的理由を明らかにせず、また、本件処分以後現在に至るまで相当数に及ぶ課長代理以上の役職への人事発令がなされているにかかわらず従業員たる組合員が組合にとどまつている限りでは課長代理以上の役職へ発令されていないことが認められるが、これをもつて本件処分につき被告会社に不当労働行為意思が存したことの現れであるとは解しえないから、右事実は、何ら本件処分の効力を左右するものではない。
(四) してみれば、本件処分は、被告会社の人事権行使の正当な裁量の範囲内においてなされたものと認められるから、適法かつ有効というべきである。
五 以上説示のとおりであるから、本件処分が無効ないし違法であることを前提とする原告の本訴第一次的及び第二次的請求は、いずれも、その余の点につき判断するまでもなく、理由がないことは明らかである。
第三結論
よつて、原告の本訴第一次的請求及び第二次的請求をいずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 小沢博 八田秀夫 前坂光雄)